2007年05月31日 07:40
日本の中小企業政策の変遷とベンチャーブーム(ベンチャー企業/五十嵐)
今日は、日本の中小企業の政策や変遷、
ベンチャーブームの話をします
■復興期
戦後の復興期(1946~1955年)。
戦後の焼け野原の状態で、
必要なものはたくさんありましたが、
それに応える財やサービスはありません。
早急に産業の育成をする必要がありました。
このような状態では、
とにかく最低限の要求を満たす
財やサービスを供給しなければ
いけなかったわけですから、
少品種大量生産スタイルの方が
適していました。
但し、少品種大量生産スタイルでは、
大量生産のための工場や
人員の投入が必要となり、
そのためには
巨額の資金が必要となります。
そこでは、大手企業を中心とする
産業振興が効率的であったと言えます。
勿論、あまりの競争過剰は
返って非効率をもたらしますし、
また、競争原理が適度に働かなければ、
産業の成長は加速しません。
そこで、少数による
競争状態を作り出すことが
要だったと言えます。
このような時代背景における
中小企業政策のあり方を考えますと、
まず、特徴的な出来事を
年表で見ていきますと、
1947年に独占禁止法が制定され、
その翌年に中小企業庁が設置されました。
通常、政策全体の
基本方針を示すための
「基本法」が施行されるのですが、
実は、中小企業基本法に関しては
基本法が定められる前に
中小企業庁が設置されており、
歪な形となっています。
その背景にも戦争の
影響が色濃く出ており、
戦争は軍部と財閥との癒着により
開始されたという考え方があり、
この財閥を解体する目的から、
独占禁止法が制定され、
財閥解体の後の受け皿と、
独占阻止の防波堤として
中小企業が想定され、
基本法制定より先に
中小企業庁が設置されるという
流れになりました。
■高度成長期
次が、高度成長期
(1955~1972年)です。
急速に日本の経済が
発展していく時期になります。
戦後の復員あるいは
疎開先から戻ってみても、
職はありませんでした。
先に述べたように、
必要なものは山ほどありましたから、
自らの職を自ら創造するという
意味合いが色濃く、
戦後にはたくさんの
中小企業が設立されました。
一方、時間の経過とともに、
大企業は段々と効率性を高め、
産業が立ち上がって来ます。
少品種大量生産方式が適した
時代背景でしたから
非常に効率的に運用される大企業と、
非効率な中小企業に、
徐々に二極分化されていきます。
そのうちに、大企業は
中小企業を下請けとして
組み込むことによって
より、生産性を上げていく
構図となりました。
こうして、支配を強める大企業と
その下請として虐げられる存在としての中小企業
という二重構造論が社会の中で
注目を集めるようになりました。
この構造的な格差の是正を目指して、
1963年に中小企業基本法が制定されました。
この中小企業基本法を一言で言い表すと、
「To Small To Mach」ということになります。
つまり、小さすぎて非効率なのですが、
雇用の受け皿として十分機能しているので、
潰すわけにはいかないということです。
よって虐げられた存在である
弱者である中小企業を
様々な援助、例えば、
過小資本を脱するための
資本の充実を支援するとか、
技術開発力を付与するために、
技術指導を行うというようなもので、
このような施策を通じて、
スケールアップしてもらおうというのが、
基本的な精神でした。
■安定成長期
次が、安定成長期(1973~1998年)です。
高度成長を続けてきた
日本経済にも翳りが見え、
成長率が鈍化する一方で、
オイルショックや、
円高進行が起こります。
右肩上がりで、経済規模の成長で、
多くの企業がその恩恵に与って来た
日本企業も、
段々にまだら模様になって来ます。
すべての産業が
好調なわけではありませんし、
また、業界の中でも
すべての会社が良いという
ことにはなりません。
冷静に戦後の日本の
産業のあり方や技術開発を
見てみますと、
欧米のキャッチアップが
中心だったと振り返れるわけです。
BBIQの最初の回で
イノベーションについて
お話しましたけれども、
経済が成熟化してくると、
シュンペーターの説く
「創造的な破壊」が
必要となって来ます。
「淘汰」と言うよりは
「効率性の罠」に陥ってしまい、
なかなかそこから脱しきれない大企業に対し、
新たなイノベーションの
担い手が必要であったのです。
ボストンやシリコンバレーが、
すでに注目を集めていましたので、
新たなイノベーションの担い手、
あるいは新たな産業の創造の旗手としての、
中小企業、ベンチャー企業に
期待するという方向に転じます。
そして1999年に中小企業基本法が
抜本的な改正が行われました。
起業やベンチャーの育成が、
中小企業製作の中心的な課題として
据えられたもので
「弱者救済型」の政策から、
市場原理を導入した
イノベーションの担い手として、
180度方向転換された
画期的な改正であったと思います。
■3回のベンチャーブーム
続いて、日本における
ベンチャーブ-ムについて
お話しておきましょう。
これまで3回のベンチャーブームが、
日本ではあったと考えられています。
(第一次)1970年代、
(第二次)1980年代、
1995年から2000年にかけてが第三次です。
ところが、1999年
(分かりやすく2000年としておきますが)
を境として、ブームではなくて、
国としてmustであるものとして
ベンチャーを育成しなければならないという
風に変わりました。
その背景は前半でお話ししましたが、
これまで3回のベンチャーブームと
2000年以降の現状とでは、
本質的に全く違うものであることを、
まずはお伝えする必要があります。
第一次ベンチャーブームは、
ボストンのルート128を参考に、
日本でも、ボストンで活躍する企業を
育成する必要があるのではないかと考え、
日本証券業協会が、
創始した店頭公開市場(今のJASDAQ)の
成立が1つの契機になっています。
これを利用して
株式公開を果たす企業も出てきました。
当時に、大企業でもなく、
二重構造で虐げられた中小企業でもなく、
シリコンバレー型、
ボストン型の新しいタイプの企業群
ということで
初めて「ベンチャー企業」
あるいは「ベンチャービジネス」が
提唱されました。
今でも、この呼称は続いていますが、
和製英語です。
第二次ベンチャーブームは、
シリコンバレーでAPPLEやインテルなどの、
世界に冠する企業が多数誕生し、
エレクトロニクスやメカトロニクスという
新しいハイテク産業も生まれて来ました。
日本においても、
シリコンバレー型企業の誕生期待が生まれ、
二回目のブームが起こりました。
大部分のベンチャーキャピタルは
この時代に設立されています。
第三次ベンチャーブームですが、
背景には、インターネットを中心とする
新興企業群の成立があります。
象徴的であったのは、
ネットスケープの誕生だったでしょう。
日本では、Windows95の登場からインターネットが
急速に伸びた時代と重なり、
ネットベンチャーを作るのだという気運が
非常に強かった時代です。
インターネットによるイノベーションは、
本当に革新的であり、
企業などあらゆる物の形、
取引の方法等を根本的に変える力を
持っていたのですが。
不幸なことに、バブル崩壊によって、
頓挫してしまいました。
■今後の展開
最初の回に、創造的な破壊の担い手としての
ベンチャー企業について
お話をさせていただきましたが、
まさにそれを推進するというように
日本の政策の1つが変わり、
国の産業の振興のために、
または国際競争力を獲得するために
ベンチャー企業というのはどんどん育成、
輩出していかなきゃいけないと
いうふうにハッキリ変わっています。
1995年から1999年にかけて
経済産業省を中心として
本当にいろんな事を
変革していただきました。
例えば種類株が出せるようになった
商法の改正や、エンゼル税制です。
エポックメイキングとしては
東京証券取引所にマザーズ、
今はヘラクレスという名前になっていますが、
当時はNASDAQジャパンということで
2000年に新市場もスタートしています。
インフラは、どうにか
国の強力なバックアップを得て、
整備されてきたと思います。
ただ残念ながら、日本で本当に成長させる、
ベンチャー企業を成長させたという経験がなく、
まだまだノウハウが蓄積されていません。
ここから僕たちがやっていく必要があることは、
このインフラを活用して、
世界と戦えるベンチャー企業を
育てていくことだと思います。